先週拙著『パーソナル・グローバリゼーション(幻冬舎MC刊)』が出版に至った。この本は、欧米やアジアのプロフェッショナル人材だけではなくBRICsのビジネスパーソンが、グローバル人材としてめきめき成長する中で、グローバルで見れば高収入の日本企業の企業人がドメスティックな環境でしか十分に能力を発揮できないという「極端さ」に危機感を覚え、日々の生活の中でどう自らのグローバル化を達成するかについて執筆したものである。
実際、ほとんどの日本人のエリートというカテゴリーに入る人材でも、近未来に日本の移民政策がよりオープンになり、外国人ホワイトカラーの労働市場流入により、需給バランスが崩れ、日本人ホワイトカラーの大幅な収入ダウンの可能性が高まっていることに気づいていない。
このことに関連して、石原慎太郎都知事が、先月以下のような興味深い発言をしている。
『日本の人口の減少は大分以前から知れていたことなのに、現在この事態になっても移民政策について根本的な議論が見られぬというのはおかしい、というより政治家たちの時代認識の欠如、危機感の欠如というよりない。
私は議員時代から大幅に移民を迎え入れる体制を法律的にも整備すべきだといってきたが、仲間内での反応は極めて乏しい、というより顰蹙(ひんしゅく)さえ買ったものだった。反対論の根拠は、日本は日本人という単一民族で形成されている国家であって、そこへ多くの異民族を迎え入れると国家社会のアイデンティティを損なうことになると。(中略)
新しい移民法に直接関わりはなかろうが、併せて、例えば日本の大学を正規に卒業した外国人には永住権をあたえるとか、人材に対しては国を開くといった姿勢なくして、一体我々は我々だけでこの国をこのまま維持発展させることが出来るのだろうかということを、そろそろ本気で考える時と思われる。』
私もこの意見には同感である。
優秀な外国人との協働の場が多い大手企業のビジネスパーソンは、ここにきてだいぶ焦りを感じてきている。欧米人だけではなく新興国の人材がどんどんビジネスに参入する中で、ビジネスの最前線で戦略を打ち出すどころか会議での発言もままならない自分の存在感の薄さをダイレクトに感じている。そうであれば、石原氏の提言するように、優秀な外国人の移民を促進する政策を打ち出すことにより、外国人と国内の日本人との協働の機会を増やし、潜在的資質は十分にありながら、長い間気付かずにあるいはあえて見ないふりをし続けているサラリーマン・OLを覚醒する効果的な国策となりえるからだ。