昨日ニューヨークに着き、朝散歩していたら、もうクリスマスの飾り付けをしている人たちがたくさんいる。写真を撮ろうとしたら、笑顔でもっと撮ってくれとジェスチャーをしてくれた。とても陽気な人たちである。
こういう仕事は地元密着型でなかなかなくならないなあ~と歩きながら考えて(職業病?)いたら、いつも自分のワークショップ「パーソナル・グローバリゼーション」で使っているラリースミスのTED「あなたに夢の仕事ができない理由」を急に思い出した。
彼は世の中には「そこそこの仕事」と「すごい仕事」があると語っている。そしてそこそこの仕事は消え去るのみだと訴えている。真意は誰にでもできる仕事は賃金の安いところで集約され、それ以外の仕事はAIやロボットがやってしまうという警鐘だろう。
先日タクシーの自動運転の開発についてテレビで見た。5年以内に実用化に入るような話であった。携帯電話に入っているUBERでタクシーを自分のところに呼び、ロボットタクシーに乗り音声認識ソフトで行き先を伝える。もし本当にそうなった場合タクシーの運転手という仕事が大幅に削減される。
都内であれば、隅々まで道を知り尽くしたベテランドライバーでも5年後のロボットタクシーとカーナビには全く太刀打ちできないだろう。
長年の経験と技術がイノベーションに取って代わられてしまうのだ。とても破壊的である。
それでは日本のエリートサラリーマンにこれと同じようなことが当てはまるのであろうか?
実際ほとんどの人は自分には無縁の世界(そう思いたい)と考えている。しかし近い将来に当てはまる人もいるし、10年以上全く影響のない人もいるというのが本当のところだろう。
自分の仕事を奪うイノベーションの出現の予測は非常に難しい。もし自分の仕事が「そこそこの仕事」的であり、新興国低賃金の人たちやロボットやAIができる可能性があるのであれば、そろそろ自分の仕事を「すごい仕事」にしていかなければ自分の人生のリスクマネジメントができているとは言えないのではないだろうか。
少し別の角度から見ると終身雇用・年功序列の日本企業にとって、このロジックは頭の痛い問題である。
付加価値の低い仕事は新興国に行き、AIやロボットがどんどん仕事の効率化を図っていくと現在の社員数が必要ではなくなってしまう。しかし解雇するのは非常に困難である。
従って、効率化の方に積極的に動かず、非効率をキープしながら雇用を守る、あるいは新規採用を抑えるというおかしな方向に行かざるを得ない。
しかし、非効率をキープしなければならない国や企業のシステムは非生産的であり、長期的に見れば競争力は徐々に下がってくる。
生産性を高めることと雇用と企業の競争力はそういう意味で矛盾を抱えているのである。
このように、グローバル化とデジタル化は社会のシステムに大きな影響を与えてきている。
終身雇用・年功序列の緩やかな消滅と「そこそこ人材」と「すごい人材」の賃金格差の広がりを押さえ込むのは想像以上に難しいかもしれない。